日本歴史地名大系 「肥後国慶長検地帳」の解説
肥後国慶長検地帳
ひごのくにけいちようけんちちよう
八九九冊
成立 慶長二―一六年(立田之内麻生田村御検地御帳・上立田村・南坪井村田畠御検地野取御帳など)
原本 県立図書館
解説 肥後の慶長検地帳は青表紙で「上立田村」と村名だけを記した慶長九年九月の検地帳と、御検地御帳と表記する慶長二―一六年の検地帳の二種がある。後者は下ケ名(地名)・面積・分米・名請人を記すもので実際に行われた結果と考えられるが、前者は下ケ名を欠き、筆跡も同一人のものとみられ、同年のものでも御検地御帳とするものとは石高が異なり、郷帳高と一致することが確認された。その結果青表紙に統一された慶長九年九月の検地帳は、天正一六年の上使衆検地の結果で、慶長九年徳川家康に差出された御前帳の控であるとされている。県立図書館に架蔵される検地帳の表題は「肥後国検地諸帳目録」として昭和二九年刊。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報