上立田村(読み)かみたつだむら

日本歴史地名大系 「上立田村」の解説

上立田村
かみたつだむら

[現在地名]熊本市竜田町上立田たつだまちかみたつだ

東は弓削ゆげ村、北は麻生田あそうだ村、西は万石まんごく村・陣内じんない村、南の白川の近くを豊後街道が走る。正平三年(一三四八)九月日の恵良惟澄軍忠状(阿蘇家文書)に「立田」とみえ、惟澄は南朝方に属し当地を焼払った。永徳元年(一三八一)六月二六日北朝方の深堀時久は、今川仲秋に従って染土城より「南郡立田」の陣へ移った(同年七月日「深堀時久軍忠状」深堀文書)。天文四年(一五三五)の鹿子木親員知行目録(鹿子木文書)によれば、当地は鹿子木東かのこぎひがし庄に属し、親員は一七町の所領をもっていた。一六世紀後半と思われる山上内田知行目録写(内田文書)によれば、山上衆の内田氏は寄合を行い、内田蔵人允に当地の一町三反の地を支配させることとなった。


上立田村
かみたつたむら

北は和田わだ村、南は富安とみやす村に接し、木曾川鵜戸うど川に囲まれた立田新田中の大村。「徇行記」によれば、寛永元年(一六二四)開墾で、概高六八五石余は一円蔵入地。田は二二町三反四畝余、畑は一七町八反四畝余。「寛文覚書」に戸数七六、人数四六三とある。「徇行記」は「村落ハ江ヲ阻テ二区ニ分レ江東・江西トイヘリ貧村ナリ、卑湿ノ地ニテ東田面ハ不熟スルコト多シ、借船ハ三十七、八艘アリ、是ヲ以テ水田ノ用ヲ足スナリ、村中ト畠ハ地高ク砂地ナリ、小百姓ハカリニテ農業ヲ以テ専務トス」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android