胆沢県庁跡(読み)いさわけんちようあと

日本歴史地名大系 「胆沢県庁跡」の解説

胆沢県庁跡
いさわけんちようあと

[現在地名]水沢市 表小路

明治二年(一八六九)八月に成立した胆沢県の庁舎は水沢城二の丸が転用され、同年九月下旬に執務を開始している。胆沢県の所管は胆沢・磐井いわい栗原くりはら三郡の大部分である約一〇〇ヵ村・約二〇万石で、戸数約二万二千・人口約一三万八千。権知事武田亀五郎(孝敬、四国宇和島の人)・大参事安場一平(保和、熊本の人、後任嘉悦氏房)・小参事野田大造(轄通、熊本の人)・史生阿川光裕(伊勢の人)であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む