腹帯配石遺構群(読み)はらたいはいせきいこうぐん

日本歴史地名大系 「腹帯配石遺構群」の解説

腹帯配石遺構群
はらたいはいせきいこうぐん

[現在地名]新里村腹帯

閉伊川によって形成された南側河岸段丘上にある。標高約九三メートル。縄文時代中期末から後期初頭のもので、立石を伴う配石遺構群として注目された。平成元年(一九八九)の調査によって検出された遺構は立石遺構四基・配石遺構八基以上、古代の竪穴住居跡一棟。立石遺構は大きいもので径一・二×一・一メートル、立石として確認されたもので大きいものは高さ一・一メートルの花崗岩である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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