朝日日本歴史人物事典 「膳傾子」の解説
膳傾子
6世紀後半の有力豪族。菩岐岐美郎女(聖徳太子の妃のひとり)の父。欽明31(570)年,高句麗の使者が越国(北陸地方)に漂着すると,饗応のために派遣された。これは,大王の側近として食膳の奉仕を担当した膳氏の世襲職にちなむ。用明天皇死去(587)ののち,大臣蘇我馬子を中心に大連物部守屋追討軍が組織されると,その一翼を担った。これを契機に,馬子を通じて蘇我氏の血をひく王族との関係を深めたようで,茨田,田目の両皇子や舂米,佐々,三嶋の諸女王など,聖徳太子の兄弟や子女は,膳氏同様,食膳奉仕を職務とした氏族の手で養育されている。藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の被葬者を傾子にあてる説がある。
(遠山美都男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報