臼屋町(読み)うすやまち

日本歴史地名大系 「臼屋町」の解説

臼屋町
うすやまち

[現在地名]北区天満(てんま)一丁目

天満一丁目の西にあり、淀川北岸から北へ延びる両側町で北は与力屋敷。もと天満一丁目の西町(にしまち)筋で(初発言上候帳面写)、明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図には一丁目・うすや町、明暦―寛文年間(一六五五―七三)の近世大坂地図には南から一丁目・臼ヤ町、元禄年間(一六八八―一七〇四)の大坂三郷町絵図には臼屋町とある。「難波鶴」には「うすや」の項に「天満川崎」とあり、同五年の「万買物調方記」にも同様の記述があるから、町名は臼製造の職人が集住していたため名付けられたと考えられる。貞享元年(一六八四)淀川治水のため河岸を一部収公され、替地を勘助(かんすけ)島(現大正区)にもらったが、これが臼井(うすい)町となった(大正区の→臼井町)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む