興津郷(読み)おきつごう

日本歴史地名大系 「興津郷」の解説

興津郷
おきつごう

現在の清水市の海岸に面する興津本おきつほん町・興津中おきつなか町・興津東おきつあずま町・興津清見寺おきつせいけんじ町から山間小島おじま町・小河内こごうちさつた山を含む地域に比定される。鎌倉初期の御家人興津六郎近綱一族の本貫の地。

安貞三年(一二二九)二月一三日の北条泰時御教書写(「諸家文書纂」所収興津文書)に郷名がみえ、郷内の小河内於嶋おじま(小島)内の船太郎屋敷が、嘉禄三年(一二二七)の親父左衛門入道の譲状に任せて興津虎石に安堵されており、興津氏は北条氏(得宗)被官であった。延慶三年(一三一〇)一二月一三日、村社兵衛次郎行仏の後家尼行心が郷内の公文名の知行について訴え、村社三郎が事実関係の調査を命じられている(「沙弥某奉書写」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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