日本歴史地名大系 「清水市」の解説 清水市しみずし 面積:二二七・六五平方キロ県のほぼ中央に位置し、東は庵原(いはら)郡由比(ゆい)町・富士郡芝川(しばかわ)町、西は静岡市、北は山梨県南巨摩(みなみこま)郡富沢(とみざわ)町に接し、南は駿河湾に面する。市の北部は興津(おきつ)川上流部の山間地で、南東流する同川に中河内(なかごうち)川が高瀬(たかせ)で、小河内(こごうち)川が但沼(ただぬま)で合流する。起伏の激しい北部はフォッサマグナの地質構造により南北方向に断層が走り、樽(たる)峠・徳間(とくま)峠は古来より甲斐・駿河の通路であった。市北部の静岡市との境には真富士(まふじ)山(一三四六メートル)・文殊(もんじゆ)岳(一〇四一メートル)がそびえ、南部は庵原山地・有度山(うどさん)丘陵・三保(みほ)半島・清水平野の四つに区分できる。静岡市北郊に源を発する巴(ともえ)川の流域に形成された清水平野に市街地が広がる。有度山丘陵東麓から駿河湾の沿岸流で運ばれた砂礫が堆積して形成された分岐砂嘴の三保半島が北に延び、天然の良港清水港を囲んでいる。気候は温暖で、年間気温は一五度前後、まれに市北部に降雪があるが、南部は風花が舞う程度である。現在、国道一号・静清(せいせい)バイパス・東名高速道路、JR東海道本線が東西に通じ、興津川に沿って甲府に至る国道五二号が国道一号から分岐し、東名高速道路清水インターチェンジがある。〔原始〕旧石器時代の遺跡として、草(くさ)ヶ谷(や)の大乗寺(だいじようじ)遺跡からナイフ形石器が、庵原の午王堂山(ごおうどうやま)II遺跡からは尖頭器が、日本平(にほんだいら)遺跡から細石器・石核・尖頭器が採集されている。縄文時代の遺跡は、興津川流域・庵原川下流部両岸・有度山丘陵北麓・有度山丘陵東麓の四地域に集中している。興津川流域には但沼・立花(たちばな)・小島(おじま)・承元寺(しようげんじ)町・興津井上(おきついのうえ)町などの河岸段丘上に一〇地点確認されているが、中期が主体と思われる。庵原地区では遺物散布地が庵原川両岸に一五地点ほど点在しているが、中心は山切(やまきり)川との合流点内側の低丘陵上に立地する大乗寺遺跡・原平(はらだいら)遺跡・寺田(てらだ)遺跡・高部山(たかべやま)遺跡と推定される。いずれも縄文時代から弥生時代・古墳時代まで引続き生活が営まれていた。有度山丘陵北麓の馬走(まばせ)・有東坂(うとうざか)地区では五地点ほど確認されているが、上原(うわはら)遺跡では木島式土器(縄文前期)が検出されている。有度山丘陵東麓には発掘調査された天王山(てんのうざん)遺跡を含む六地点が確認されている。いずれも丘陵裾を削る小河川の扇状地上に立地し、縄文後期・晩期が中心である。弥生時代の遺跡は、興津川下流部に、また庵原地区では縄文時代の遺跡に引続き弥生時代・古墳時代へと生活が営まれる。弥生時代は微高地帯として集落が集中していた可能性がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by