日本歴史地名大系 「舌間浦」の解説 舌間浦したまうら 愛媛県:八幡浜市舌間浦[現在地名]八幡浜市舌間宇和海に突出した諏訪(すわ)崎の基部に位置する漁村。北は栗野(くりの)浦、南は合田(ごうだ)浦に接する。安養(あんよう)寺(現東宇和郡宇和町)の大般若経の奥書に「文明戊戌歳霜月廿日、於予州路矢野保舌間浦南泉軒下令書写」とあるのが初見。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「舌間浦 茅山有」と記されている。宇和島藩領。太閤検地の石高は五二石一斗の小村で、耕地面積の比率は田四九パーセント、畑五一パーセントであった。寛文検地では石高が二・二倍に増え、田一五パーセント、畑八五パーセントの比率に変化しており、畑の開発が著しい。「墅截」による村柄は「中」、耕地は田が「中」、畑は「下」、水掛りは「悪」。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by