舞岡村(読み)まいおかむら

日本歴史地名大系 「舞岡村」の解説

舞岡村
まいおかむら

[現在地名]戸塚区舞岡町・南舞岡みなみまいおか一―四丁目

東は谷上やかみ(現港南区)、南は小菅谷こすがや村、西は上倉田かみくらだ村・下倉田村吉田よしだ村、北は下柏尾しもかしお村に接する。舞岡川が柏尾かしお川に合流する。東海道が北境を通る。

延慶二年(一三〇九)二月二三日の南条時光譲状(県史二)に「さかミの国山内庄まいおかのかうの内やしき弐所、給田壱丁三反(小)、はたけ并のはら」を嫡子時忠に譲っている。大永七年(一五二七)八月一二日の「前岡郷百姓中」に宛てた北条氏綱判物(県史三)によると、このとき松岡殿御料すなわち鎌倉東慶とうけい寺領で、諸公事は免許とされたが、陣夫三人は従来どおり出すべしとある。天文一八年(一五四九)三月二八日の石巻家貞掟書(県史三)では、松岡領の「前岡之郷・野場之郷」の百姓中に宛て、郷中に餌指が侵入することを禁じ、侵入者があれば小田原へ報告するよう命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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