下倉田村(読み)しもくらだむら

日本歴史地名大系 「下倉田村」の解説

下倉田村
しもくらだむら

[現在地名]戸塚区下倉田町

東は舞岡まいおか村、南は小菅谷こすがや村・飯島いいじま村・長沼ながぬま村、西は戸塚とづか宿、北は上倉田村に接する。南東は雪下ゆきした山で小菅谷村に連なる。西に高田たかだ山、北に角前かくぜん山、中央に伊勢いせ山がある。西境柏尾かしお川が流れる。上倉田村近くの紅葉もみじ滝からたき堀が流れて上倉田村と境し、柏尾川に注ぐ。せき堀が上倉田村から西方の字上耕地かみこうちに流れる。花立はなたて堀が東南の字花立に発し、西流して柏尾川に落ちる。鎌倉道が上倉田村から村の中央を過ぎて長沼村へ通じる。古鎌倉道は舞岡村から村の東隅を通って小菅谷村に通じる。仁治元年(一二四〇)三月七日の北条泰時下文写(相州古文書)に山内新阿弥陀堂料所として「山内庄倉田郷」とある。慶長八年(一六〇三)頃と思われる富塚吉田倉田検地目録(沢辺文書)には「上倉田郷」「下倉田郷」とあり、同九年九月の倉田郷検地目録(同文書)には「相州東郡之内、倉田郷上下共ニ辰之御検地割付之事」とあって上下に分れている。

近世は初め幕府直轄領。享保一八年(一七三三)旗本上原領と幕府直轄領の二給、寛延二年(一七四九)武蔵川越藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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