舞庄(読み)まいのしよう

日本歴史地名大系 「舞庄」の解説

舞庄
まいのしよう

永享元年(一四二九)の公方御下向反銭方引付(内閣文庫蔵大乗院文書)城下しきのしも郡に「三丁七反大」とあり、興福寺大乗院領と考えられる。

安貞二年(一二二八)の大法師威信売券(春日神社文書)には「合弐段者、在大和国城下郡舞庄之内、十五条三里三坪自北二段目三段目也、四至限東野、限西大道、限南他領、限北他領」とみえ、舞庄内の威信の相伝私領二段の所在は、条里から現大字法貴寺ほうきじ東部に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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