般若畑村(読み)はんにやばたむら

日本歴史地名大系 「般若畑村」の解説

般若畑村
はんにやばたむら

[現在地名]池田町般若畑

宮地みやじ村の北にある。大永元年(一五二一)七月五日の国枝宗竜寄進状(龍徳寺文書)で「般若畠之東」の一段半が龍徳りようとく寺に寄進されている。天正一七年(一五八九)一一月二一日付豊臣秀吉の美濃国御蔵入目録(内閣文庫蔵)に「はんにや畑」一五九石余とある。慶長二年(一五九七)の池田野山年貢割帳(阿子田文書)には般若畑村とみえ、入会の大津谷おおつだに山への立入人馬数は六人・八匹。慶長郷帳では高二〇一石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では幕府領正保郷帳には盤若畑村とあり、旗本加藤平内領で、田一四二石余・畑五七石余・山年貢一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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