西法寺(読み)さいほうじ

日本歴史地名大系 「西法寺」の解説

西法寺
さいほうじ

[現在地名]上京区新ン町

浄土真宗本願寺派。山号は安居院本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、文禄二年(一五九三)、伊勢の明円が応仁の乱で焼亡した安居院あぐいの復興を企てて堂舎を建てたのに始まるという。慶長一八年(一六一三)四月一七日西本願寺第一二代准如より明円が本尊の木造阿弥陀如来を下付されるとともに、西法寺の寺号を許された(「木仏裏書」寺蔵)。亨保一五年(一七三〇)の西陣焼け(西陣天狗筆記)と天明八年(一七八八)正月の大火で類焼し(翁草)、のち再建された。境内本堂の前庭には唱導の名人と称された聖覚の墓がある。聖覚は文暦二年(一二三五)六九歳で安居院で没した(「明月記」同年三月五日条)


西法寺
さいほうじ

[現在地名]松山市下伊台町

下伊台しもいだいのやや開かれた盆地上の人家の建ち並ぶ中にある。大楽山東光院と号し、天台宗。本尊は薬師如来。寺伝によると、延暦年間(七八二―八〇六)創建で、往古二二坊あり、寿永年間(一一八二―八五)に再建されたが、江戸時代の中期に焼失したので、現在の地に移したという。天保年間(一八三〇―四四)に復興されたいまの本堂は、もとは塔頭の十蔵坊のあった所につくられたといわれる(予陽郡郷俚諺集)


西法寺
さいほうじ

[現在地名]鳥栖市蔵上町

蔵上くらのえ町の集落の北西部にある。無量光山と号し浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。対馬藩の藩政期には、田代領の真宗触頭。

西法寺縁由によれば、大永(一五二一―二八)の頃、本願寺九世実如の弟子善徳が九州化導の折この地にとどまって一宇を創建したという。


西法寺
さいほうじ

[現在地名]泉佐野市元町

浄土真宗本願寺派。甘露山と号し、本尊は阿弥陀如来。もと真言宗寺院であったが、慶長一八年(一六一三)准学が浄土真宗の興正こうしよう(現京都市下京区)末として中興した。この中興に際しては当時佐野の有力者であった藤田十郎大夫・食二郎左衛門・唐金助左衛門をはじめ二三〇名余の村民が協力したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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