船堂村(読み)せんどうむら

日本歴史地名大系 「船堂村」の解説

船堂村
せんどうむら

[現在地名]堺市船堂町・北花田(きたはなだ)町一―四丁・新堀(しんぼり)町一―二丁・東浅香山(ひがしあさかやま)町一―四丁・奥本(おくもと)町一―二丁など

西流する大和川の左岸、現堺市の北東端部に位置する。近隣の奥(おく)村・北花田村と村地が錯綜する。摂津国住吉郡に属する。永禄一二年(一五六九)八月日付で今井宗久は年貢皆済などに関して五ヵ条の禁制(「今井宗久書札留」今井文書)を出したが、その宛所に当村名がみえる。また文禄三年(一五九四)六月一日豊臣秀吉は蔵入目録(称念寺文書)を今井兵部宛発しているが、そのなかに「花田之内船堂村・新堀村・音布寺村出作分」として四一七石余がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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