船浮要塞跡(読み)ふなうきようさいあと

日本歴史地名大系 「船浮要塞跡」の解説

船浮要塞跡
ふなうきようさいあと

[現在地名]竹富町西表

西表いりおもて島西部、船浮ふなうき湾に設置された日本陸軍の要塞跡。一九四一年(昭和一六年)七月、沖縄島の中城なかぐすく湾要塞とともに臨時要塞令により建設され、沖縄における初めての軍事施設建設となった。船浮湾の軍事的価値については一八八六年(明治一九年)沖縄を軍事視察した内務大臣山県有朋、九三年来沖した笹森儀助などが日本最南端の軍港適地として注目していたが、実際に整備・利用はされなかった。また両要塞の設置構想は海軍拠点の確保という戦略的目的に基づき一九一九年(大正八年)から存在したが、ワシントン海軍軍縮条約の防備制限条項の対象となり中止されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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