ワシントン海軍軍縮条約(読み)わしんとんかいぐんぐんしゅくじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワシントン海軍軍縮条約」の意味・わかりやすい解説

ワシントン海軍軍縮条約
わしんとんかいぐんぐんしゅくじょうやく

第一次世界大戦後の1922年(大正11)ワシントン会議で結ばれた、軍縮に関する最初の条約アメリカ首席全権のヒューズは、会議の冒頭で、主力艦戦艦)の建造を10年間休止し、締約国の主力艦の保有トン数を、米(10)、英(10)、日本(6)、仏(1.67)、伊(1.67)の比率で制限することを提案。日本は首席全権の加藤友三郎(かとうともさぶろう)(海相)の英断で、太平洋(フィリピン、グアム)の防備制限と引き替えに、ヒューズ提案を受諾。太平洋に関する四か国条約と相まって、西太平洋における日本の制海権を実質的に保障した。しかし、6割比率に対する海軍部内の反発は強く、1930年(昭和5)のロンドン海軍軍縮会議を経て、日本は1936年、この5か国条約から脱退、無条約時代に突入する。

[麻田貞雄]

『麻田貞雄著『両大戦間の日米関係』(1993・東京大学出版会)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ワシントン海軍軍縮条約」の解説

ワシントン海軍軍縮条約
ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく

第1次大戦後に開かれたワシントン会議において,1922年(大正11)2月6日に米・英・日・仏・伊の5カ国間で締結された海軍軍縮条約。主力艦(戦艦)の現有勢力比率は米・英5に対し,日3,仏・伊は1.67とされた。交渉は10年間の建艦休止,建造中の主力艦全部の廃棄,現有勢力比の維持をめざす米首席ヒューズの軍縮提案に始まり,これに加藤寛治海軍首席随員ら日本海軍側が対米7割比率を主張して反対。加藤友三郎首席全権の高度の政治的判断で,太平洋諸島の軍事施設などの現状維持を条件に対米6割を受諾。以後,建艦競争の中心は補助艦に移行した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「ワシントン海軍軍縮条約」の解説

ワシントン海軍軍縮条約
ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく

1922年2月,ワシントン会議で締結された史上最初の軍備制限条約
日本・イギリス・アメリカ・フランスイタリア調印。主力艦建造を10年間停止し,保有比率を英・米各5,日3,仏・伊各1.67と定めた。日本の保有量は31.5万トン。航空母艦も同様に制限された。1923年発効。10年間有効で '30年のロンドン海軍軍縮会議で '36年まで延長されたが,日本は '34年に単独廃棄した。

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