色利浦(読み)いろりうら

日本歴史地名大系 「色利浦」の解説

色利浦
いろりうら

[現在地名]米水津村色利浦

浦代うらしろ浦の南、米水津湾の南西岸に位置。色理とも記す。天正年間(一五七三―九二)に「いろりえうら」の御手洗玄蕃など三名の代参人某が伊勢神宮に参詣している(「参宮帳写」後藤作四郎文書)。慶長六年(一六〇一)竹野浦組差出帳(佐伯藩政史料)に色理浦とみえ、高一三石余、名請人として善七がみえる。同一四年当浦肝煎に竹野たけの浦の左京が任じられている(「毛利高政下知状」御手洗文書)正保郷帳にも色理浦とみえ、米水津郷に属し、田高一石余・畑高七石余。元禄郷帳・天保郷帳では下浦しもうら村の内に含まれたと思われ、元禄見稲簿では下浦村の内で無高。享和三年(一八〇三)の郷村仮名付帳(佐伯藩政史料)では下浦村の枝郷で、米水津五ヵ浦の一、地内に大内おおち関網せきあみがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む