日本歴史地名大系 「色川郷」の解説 色川郷いろかわごう 和歌山県:東牟婁郡那智勝浦町色川郷康正元年(一四五五)と推定される令旨(「続風土記」所収清水家文書)に、<資料は省略されています>とあり、南北両朝講和後、当郷に対して南朝の勢力回復を図った忠義王の呼掛けのあったことが知られる。「続風土記」は「建武文書に色川左兵衛尉といふ人あり、是色川の名の物に見江たる始にして左兵衛尉は平ノ維盛の裔にて世々此地を領し南朝に奉仕せり」と述べる。江戸時代は平野(ひらの)・同村枝郷桧曾原(ひそはら)・小坂(こざか)・口色川(くちいろがわ)・大野(おおの)・田垣内(たのがいと)・熊瀬川(くませがわ)・中野川(なかのかわ)・樫原(かしわら)・坂足(さかあし)・直柱(ひたはしら)・高野(たかの)・小匠(こだくみ)、および楠(くす)・赤木(あかぎ)・田川(たがわ)(現古座川町)の諸村を色川郷とよんだ(続風土記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報