東牟婁郡
ひがしむろぐん
面積:九五七・九〇平方キロ
古座町・古座川町・本宮町・北山村・熊野川町・那智勝浦町・太地町
和歌山県東南部に位置し、北は果無山脈をもって奈良県吉野郡と境し、東は北山川と熊野川で三重県熊野市・南牟婁郡、および白見山・烏帽子山を結ぶ山嶺で新宮市と境する。西は大塔山(一一二二メートル)を中心とした山地を限って西牟婁郡、東南は熊野灘に面する。北山川上流部の北山村と、熊野川町の一部は三重・奈良両県に囲まれた飛地となっている。郡域は近世までの牟婁郡のほぼ中央部を占め、明治一二年(一八七九)の郡区町村編制法により東牟婁郡が成立。
〔原始・古代〕
先土器時代の尖頭器が太地町太地の太地熱帯植物園内遺跡から発見され、縄文式土器は北山村下尾井遺跡から発見されている。弥生遺跡として注目されるものはないが、那智勝浦町には当郡唯一の前方後円墳下里古墳があり、碧玉製管玉・鉄剣などが出土している。
当郡は古くは熊野国に含まれ、険峻な山で隔絶された山間僻陬の地であったが、聖地として熊野神が早くから祀られた。本宮町に熊野本宮大社、那智勝浦町に熊野那智大社が鎮座し、新宮市の熊野速玉大社と合せて、熊野三山と称した。熊野本宮大社は「延喜式」神名帳にみえる熊野坐神社にあたる。「和名抄」記載の牟婁郡五郷のうち神戸郷は当郡から新宮市にかけての地に比定される。なお「万葉集」巻七にみえる「玉の浦」を那智勝浦町粉白付近にあてる説もある。
平安時代に熊野の神仏習合が進展し、阿弥陀浄土信仰の隆盛や、名山・霊山への頭陀巡礼の風潮を背景に、上皇や貴族の熊野参詣が盛んとなった。それに伴い参詣道も整備された。熊野街道中辺路が、郡北部の三越峠から本宮を経て、小雲取越・大雲取越で那智山に至り、本宮からは新宮への川舟の便もあった。このほかに田辺から海岸沿いに新宮に至る熊野街道大辺路、高野山と本宮を結ぶ果無街道、山伏修行の大峯道(行者道)などがあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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