奈良県南部、吉野郡にあった旧村名(大塔村(むら))。現在は五條市(ごじょうし)の南部を占める地域。旧大塔村は2005年(平成17)西吉野村とともに五條市に編入。南朝の歴史にゆかりが深く、旧村名は大塔宮護良親王(もりよししんのう)にちなむとする説が有力。大峰山脈の西斜面、十津(とつ)川上流の天(てん)ノ川流域に集落が点在する。天ノ川沿いに国道168号(西熊野街道)が南北に通じ、これに沿って中心集落の辻堂(つじどう)、阪本が立地する。吉野熊野特定地域総合開発によって猿谷ダム(さるたにだむ)が1957年(昭和32)築造された。林業を主産業とするが過疎化が深刻である。篠原(しのはら)踊、阪本踊(ともに県無形民俗文化財)など伝統芸能が残る。
[菊地一郎]
『『大塔村史』(1959・大塔村)』▽『『奈良県大塔村史』(1979・大塔村)』
和歌山県南部、西牟婁郡(にしむろぐん)にあった旧村名(大塔村(むら))。現在は田辺市(たなべし)の南部を占める地域。旧大塔村は、1956年(昭和31)三川(みかわ)、鮎川(あゆかわ)、富里の3村が合併して成立。2005年(平成17)中辺路(なかへち)、本宮2町および龍神村とともに田辺市に合併。大塔山(1122メートル)西麓(せいろく)にあり、旧村名の由来となる。大塔宮護良(だいとうのみやもりよし)親王の伝説も村にあるが、名称とかかわりはない。日置(ひき)川と富田(とんだ)川流域の山村で、山林労働が主。殿山(とのやま)ダム築造後は過疎化が進み、集落移転が一部行われた。旧熊野街道の国道311号、および日置川沿いに371号が通る。富里温泉や百間谷(ひゃっけんだに)の勝景がある。
[小池洋一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…平安時代初め,空海は高野山で大日如来の三昧耶形(さまやぎよう)をモデルにして毘盧遮那法界体性塔(びるしやなほつかいたいしようとう)を建立したが,この塔は三昧耶形そのままの宝塔形式(円形平面の一重塔)に裳階(もこし)(庇)を付けた二重の形式で,下重は方5間で内部には円形に並ぶ12本の柱列が2通りあったらしい。これを大塔(だいとう)形式ともいい,はじめは空海に関係の深い真言宗寺院で建てられたが,密教の盛行にともない,小型・簡略化して下重を方3間とし,内部の円形柱列をなくした現在みられる形式の多宝塔が,天台宗をはじめ他宗の寺院でも広く建てられるようになったと推考される。 多宝塔は大日如来そのものを具現した塔で,同じ仏塔でも飛鳥時代に伝来した五重塔,三重塔など(これを層塔という)が仏舎利の奉安を目的としているのとは少し性格が異なる。…
…元)が最古の遺構である。金剛宝座塔は,インドのボードガヤー大塔の形式を引き,高大な基座の上に大塔と4基の小塔の5塔を配するもので,真覚寺(北京。俗称〈五塔寺〉)などに遺構がある。…
※「大塔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新