花谷正(読み)ハナヤ タダシ

20世紀日本人名事典 「花谷正」の解説

花谷 正
ハナヤ タダシ

明治〜昭和期の陸軍中将



生年
明治27(1894)年1月5日

没年
昭和32(1957)年8月28日

出生地
岡山県

学歴〔年〕
陸士(第26期)〔大正3年〕卒,陸大〔大正11年〕卒

経歴
参謀本部員となり、昭和3年関東軍参謀、歩兵第37連隊大隊長などをつとめ、5年奉天特務機関員(関東軍司令部付)となる。関東軍参謀の後任石原莞爾と共に満蒙占領計画に参画し、6年柳条湖の鉄道爆破の謀略を担当した。7年参謀本部員、歩兵第35連隊大隊長、8年中佐、済南駐在武官、10年関東軍参謀、ついで歩兵第43連隊長、14〜15年満州国軍顧問などを経て、18年中将、第55師団長(仏印)、20年第18方面軍参謀長などを歴任した。23年復員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「花谷正」の解説

花谷正 はなや-ただし

1894-1957 大正-昭和時代前期の軍人
明治27年1月5日生まれ。昭和5年関東軍司令部付(奉天特務機関)となり,石原莞爾(かんじ)らとともに満州領有計画や柳条湖事件などの謀略に関与した。14年満州国軍顧問。のち第五十五師団長,第十八方面軍参謀長など。陸軍中将。昭和32年8月28日死去。63歳。岡山県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の花谷正の言及

【行地社】より

…講演会や出版活動を通して小学校教員や学生などへの働きかけも行われたが,活動の力点は,大川の古くからの人脈を利用して陸軍中央,とりわけ参謀本部の中堅将校への働きかけにおかれた。この結果,板垣征四郎,橋本欣五郎,花谷正らが講演や寄稿の形で参加したり,多くの青年将校が《日本》の読者となるなど,陸軍内に一定の思想的影響力をもつことができた。31年の全日本愛国者共同闘争協議会の結成に狩野が積極的な役割を果たしたりしたが,32年大川が神武会を新たに結成したのに伴い解消した。…

※「花谷正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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