石原莞爾(読み)イシハラカンジ

デジタル大辞泉 「石原莞爾」の意味・読み・例文・類語

いしはら‐かんじ〔‐クワンジ〕【石原莞爾】

[1889~1949]陸軍中将山形の生まれ。関東軍参謀として、満州事変満州国建設を推進。のち、東条英機対立予備役よびえきとなった。東亜連盟指導者

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精選版 日本国語大辞典 「石原莞爾」の意味・読み・例文・類語

いしはら‐かんじ【石原莞爾】

  1. 陸軍軍人。山形県出身。昭和三年(一九二八)関東軍参謀となり、満州事変の立て役者となる。後、参謀本部作戦課長となり、軍事戦略を対ソ戦に一元化し総力戦体制構築を画策。明治二二~昭和二四年(一八八九‐一九四九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石原莞爾」の意味・わかりやすい解説

石原莞爾
いしわらかんじ
(1889―1949)

陸軍軍人(中将)。明治22年1月17日山形県に生まれる。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業。中国の辛亥(しんがい)革命を知って日本の国家改造に関心をもち、1920年(大正9)には田中智学(たなかちがく)の所説にひかれて日蓮(にちれん)主義の思想団体国柱会(こくちゅうかい)に入会し、日本をアジア、さらには世界の盟主とするという使命観を得た。1922年陸大教官在任中にドイツ駐在武官となり、ルーデンドルフとデリブリックの論争に触発されて、将来の世界戦争が国家総力戦、飛行機を中心とする殲滅(せんめつ)戦となることを察知し、1928年(昭和3)関東軍主任参謀となると、『戦争史大観』にこれを体系化した。この観点から満州事変、「満州国」創設、日本の国際連盟からの脱退などを推進した。1935年参謀本部作戦課長となり、翌1936年の二・二六事件の鎮圧にあたる。「帝国軍需工業拡充計画」など総力戦体制構想を立案したが、日中戦争が勃発(ぼっぱつ)して実現は阻まれた。その後東条英機(とうじょうひでき)と対立して1941年3月第一六師団長を罷免され、太平洋戦争中は右翼団体東亜連盟を指導した。昭和24年8月15日没。

[佐々木隆爾]

『横山臣平著『秘録石原莞爾』(1971・芙蓉書房)』


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百科事典マイペディア 「石原莞爾」の意味・わかりやすい解説

石原莞爾【いしはらかんじ】

陸軍中将。日本ファシズム運動の一方旗頭。山形県鶴岡生れ。陸大卒。1920年国柱会に入り,日蓮信者となる。1923年からドイツに留学,総力戦論などを学ぶ。1931年関東軍作戦主任参謀として,板垣征四郎とともに満州事変を計画,実行した。対ソ戦争準備を主張し,中国との戦争に反対して東条英機と対立し退役。戦史研究と日蓮信仰をもとに,東洋代表(日本)と西洋代表(アメリカ)との世界最終戦論唱え,右翼団体東亜連盟を指導した。
→関連項目近衛声明武藤章柳条湖事件

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改訂新版 世界大百科事典 「石原莞爾」の意味・わかりやすい解説

石原莞爾 (いしはらかんじ)
生没年:1889-1949(明治22-昭和24)

十五年戦争期の軍人。山形県出身。陸軍士官学校(21期),陸軍大学校卒業。陸大教官などを経て1928年関東軍参謀。この間,国柱会員としての日蓮宗信仰と欧州戦史研究とに基づき,世界最終戦争論を樹立。最終戦争への第一段階として満蒙領有論を唱え,満州事変を指導した。35年参謀本部課長となり,〈重要産業五ヵ年計画〉作成など,最終戦争の見地から日本と満州国を一体とした総力戦体制の確立に力を注いだ。37年蘆溝橋事件がおきると,この構想実現のために戦闘不拡大を主張し,参謀本部作戦部長から関東軍参謀副長に左遷された。ここでも満州国のあり方をめぐって孤立し,翌38年舞鶴要塞司令官となる。この間,西安事件などを契機に中国民族運動に着目し,日中提携による和平の方策として東亜連盟論を唱え,41年,第16師団長(中将)で予備役になった後は,東亜連盟運動の指導に専念した。敗戦後は全面的武力放棄を唱え,故郷で日蓮宗信者とともに開拓生活を送った。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「石原莞爾」の解説

石原 莞爾
イシハラ カンジ

明治〜昭和期の陸軍中将



生年
明治22(1889)年1月18日

没年
昭和24(1949)年8月15日

出生地
山形県鶴岡市日和町

学歴〔年〕
陸士(第21期)〔明治42年〕卒,陸大〔大正7年〕卒

経歴
大正11〜14年ドイツで戦史、戦術論などを学ぶ。昭和3年関東軍参謀となり、6年満州事変を惹起し、満州国建国の立役者となる。10年参謀本部作戦課長就任後は帝国国防方針の改定など、長期的な戦争経済体制の確立を目指す。12年少将・参謀本部作戦部長、同年軍部の意図を実現させるため、林銑十郎内閣の成立を画策した。日中戦争には、不拡大方針を唱えて関東軍参謀副長に左遷され、以後、軍の中枢部から外れる。陸軍中将の16年3月第16師団長を最後に予備役。この間14年東亜連盟協会を組織し、東亜ブロック構築を画策するが失敗。強烈な日蓮信仰とヨーロッパ戦史の研究を結合させ、“世界最終戦論”という独自の戦争理論を形成した。立命館大学教授も務めた。戦後は支持者と共に日本海に面する遊佐町で開墾生活に入った。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石原莞爾」の意味・わかりやすい解説

石原莞爾
いしはらかんじ

[生]1889.1.18. 山形,鶴岡
[没]1949.8.15. 山形,高瀬
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変と満州国建設を指揮したことで知られる。 1909年陸軍士官学校,18年陸軍大学校卒業。ドイツ駐在。陸軍大学校教官などを歴任後,28年中佐,関東軍参謀。その後,ジュネーブ軍縮会議随員,参謀本部作戦課長などを経て,日中戦争勃発時 (1937) の参謀本部作戦部長,次いで関東軍参謀副長。対ソ戦準備のため,戦線拡大に反対した。 39年東亜同盟発足に伴いその指導者となる。 41年東条英機陸相に批判的であったため,現役を追われ,中将で予備役。 41~42年立命館大学教授。主著『世界最終戦論』 (40) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石原莞爾」の解説

石原莞爾 いしわら-かんじ

1889-1949 明治-昭和時代前期の軍人。
明治22年1月18日生まれ。ドイツに留学。昭和3年関東軍参謀となり,板垣征四郎らと満州事変をおこし,満州国建国を推進。12年参謀本部作戦部長となり,持説の「世界最終戦争」にもとづく日米決戦を想定し,対中戦不拡大を主張して東条英機と対立した。14年から右翼団体の東亜連盟協会を指導。陸軍中将。昭和24年8月15日死去。61歳。山形県出身。陸軍大学校卒。著作に「世界最終戦論」「戦争史大観」。
【格言など】あの八月十五日で,私のこの世の務めは終わりました(大川周明へのこした辞世)

石原莞爾 いしはら-かんじ

いしわら-かんじ

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「石原莞爾」の解説

石原莞爾
いしはらかんじ

1889.1.18~1949.8.15

昭和期の軍人。陸軍中将。山形県出身。陸軍士官学校(21期)・陸軍大学校卒。同大学校教官などをへて,1928年(昭和3)関東軍参謀。日蓮宗を信仰し,世界最終戦論を打ち出す。満州事変,満州国建国のプランナーでもあった。35年参謀本部作戦課長となり,2・26事件の収拾に尽力し,ついで同作戦部長となる。日中戦争で不拡大方針をとり,関東軍参謀副長に左遷。第16師団長ののち,41年予備役に編入され,東亜連盟運動を推進した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「石原莞爾」の解説

石原 莞爾 (いしはら かんじ)

生年月日:1889年1月18日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。陸軍中尉
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の石原莞爾の言及

【国柱会】より

…日蓮主義にもとづく国家建設の主張は各地にひろまり,1914年立正安国会を中心に,門下の信仰団体を統一して国柱会が創設された。田中は高弟山川智応らとともに文筆,講演など多彩な活動を展開し,石原莞爾,宮沢賢治らが入会,会員は急速に増加した。その後田中は政治的な運動に傾き,国柱会も日蓮主義と〈国体主義〉を唱える国家主義的な運動に傾いた。…

【東亜連盟】より

石原莞爾(かんじ)の唱えた日中提携の理論。東亜連盟という語は1933年,満州国協和会の目的に見られるが,日中戦争の長期化と日本の国力消耗を憂慮した石原が,中国民族運動の高揚に触発されて宮崎正義らと38年末具体化した。…

【満州国】より

…1928年の張作霖爆殺事件は武力による満蒙占領を企てた軍人の陰謀であった。その後関東軍は板垣征四郎,石原莞爾(かんじ)両参謀を中心に満蒙領有計画を練り上げ,31年9月謀略によって満州侵略を開始した。軍中央部は直ちに関東軍の行動を追認したが,満蒙領有案には反対したため,関東軍は満州建国に方針を転換した。…

※「石原莞爾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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