日本歴史地名大系 「苅安賀新田村」の解説 苅安賀新田村かりやすかしんでんむら 愛知県:尾西市苅安賀新田村[現在地名]尾西市三条(さんじよう)村の東を日光(につこう)川が流れ、西は小信(このぶ)村・中島(なかじま)村に接する。大平(おおひら)・籠谷(かごや)(籠屋)・中通(なかどおり)は枝郷で、この村の中心は初め新開(しんがえ)といったという。概高一千一三九石八斗余で、大部分が藩士一八名の給知であった(天保村絵図)。「寛文覚書」の戸口は一一七軒・六九三人。明治一〇年(一八七七)頃の戸口は三〇六軒・一千二四八人。同書によると村内に名古屋の守綱(しゆこう)寺の寺領高一〇〇石があり、寺領内は家数六、人数三一である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by