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長島一揆 ながしまいっき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長島一揆
ながしまいっき

安土桃山時代,伊勢 (三重県) 長島に起った一向一揆織田信長に対抗する石山本願寺教団の命で,元亀1 (1570) 年願証寺を中心に長良川,木曾川河口デルタの長島一帯の真宗教徒が蜂起し,信長に激しく抵抗し,同2年と天正1 (73) 年の信長の猛攻を防いだが,同2年鎮圧され,信長は美濃,尾張,伊勢3国の本願寺教団を屈服させた。

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デジタル大辞泉の解説

ながしま‐いっき【長島一揆】

元亀元年(1570)長島で起こった一向一揆織田信長に対抗していた石山本願寺の命に応じて蜂起(ほうき)したが、信長による3回の攻撃により天正2年(1574)鎮定された。

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百科事典マイペディアの解説

長島一揆【ながしまいっき】

戦国時代に伊勢国長島三重県桑名市長島町)を中心に蜂起した一向一揆。濃尾三川(のうびさんせん)と呼ばれた木曾川長良(ながら)川揖斐(いび)川の下流域は輪中(わじゅう)地帯として知られ,15世紀中頃から真宗(一向宗)の教勢が伸長し,長島の願証寺がその拠点となっていた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ながしまいっき【長島一揆】

石山合戦期に伊勢国長島(現,三重県桑名郡長島町)を中心に蜂起した一向一揆。濃尾三川(木曾川,長良川,揖斐川)の下流域のいわゆる輪中地帯には,15世紀中葉以後真宗本願寺派の教線が進展し,1501年(文亀1)には蓮如の六男蓮淳を住職とする一家衆寺院長島願証(がんしよう)寺が創建された。70年(元亀1)本願寺顕如が諸国に反織田信長の蜂起を指令すると,尾張南西部,美濃南部,伊勢北部の門徒は反信長の武士と連合して願証寺を主将として蜂起し,11月に信長の弟信興を尾張小木江城に攻めて自殺させた。

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大辞林 第三版の解説

ながしまいっき【長島一揆】

木曽川河口にある長島の願証寺に拠った尾張・美濃・伊勢の一向宗門徒による武装蜂起ほうき。1570年石山本願寺の命を受けて織田信長に対抗したが、信長の三度にわたる猛攻の前に74年壊滅。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長島一揆
ながしまいっき

1570~74年(元亀1~天正2)に起きた一向(いっこう)一揆。1570年9月、石山(いしやま)本願寺を中心とする一向一揆は、以後11年間に及ぶ織田信長との全面戦争(石山合戦)に突入したが、木曽(きそ)川河口のデルタ長島(三重県桑名市長島町)の願証(がんしょう)寺を中心とする一揆も本願寺顕如(けんにょ)の檄(げき)に応じて蜂起(ほうき)し、11月信長の弟信興(のぶおき)を尾張小木江(おわりおぎえ)城に攻めて敗死させた。これに対し信長の長島攻撃は前後3回にわたった。71、73年の2回の戦闘では、特有の輪中(わじゅう)を生かしてゲリラ戦を繰り広げる一揆軍に苦戦し、信長は北伊勢(きたいせ)一帯を平定したにとどまった。74年7月、信長は水陸の大軍をもって長島総攻撃を開始、一揆方の多数の門徒を殺傷し9月末に勝利を得た。さらに信長は、講和を申し入れ開城した一揆軍を攻撃し門徒2万人を殺害したという。長島一揆の敗北で美濃(みの)・尾張・伊勢三国の本願寺教団の勢力は信長の前に屈伏することになった。[水戸英雄]
『伊藤重信著『長島町誌 上』(1974・長島町)』

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世界大百科事典内の長島一揆の言及

【安土桃山時代】より

… 信長と一向一揆との武力対決は激烈をきわめた。74年の伊勢長島一揆では,信長の徹底した包囲作戦によって門徒の過半が餓死し,一揆側の降伏によって講和が結ばれたにもかかわらず,生き残った門徒が船で退出するところを銃撃し,さらに2万人の男女を柵内に押しこめ,ことごとく焼き殺した。76年の越前一揆では,前田利家が多数の門徒に対して磔,釜ゆでなど残虐な処刑を行った。…

【石山本願寺一揆】より

…本願寺が三好・六角・浅井・朝倉・武田と同盟したため,各地の一揆は彼らと結んで信長と戦った。近江一揆は浅井・朝倉と共同して湖西から京都にせまり,願証寺を首将とする長島一揆は尾張小木江城を攻めて信長の弟信興を自殺させた。朝廷や将軍足利義昭を動かした第1次講和によって窮地を脱した信長は,まず71年1月に長島一揆を攻めたが大敗した。…

【願証寺】より

…74年(天正2),本願寺と織田信長との間に石山合戦が再発すると,信長は願証寺を攻めた。長島一揆は願証寺を中心に,木曾川デルタ地帯に立てこもって抵抗したが敗北し,願証寺は廃絶した。その系譜を引くものは,本願寺派に属する三重県桑名郡長島町の願証寺,大谷派に属する岐阜県不破郡垂井町および滋賀県蒲生郡日野町の願証寺がある。…

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