苅谷原村
かりやはらむら
[現在地名]四賀村錦部 刈谷原
松本藩領会田組で、のち幕府領。東は七嵐村、北は反町村、西は執田光村、南は刈谷原峠を境に岡田町村(現松本市)と接する。現在は「苅」を「刈」と書く。刈谷原峠を北へ下ると村は北面してある。近世には苅谷原宿が置かれた。
中世からの苅谷原郷の地で、天正検地帳には「苅谷原郷中村共八百四拾三石八斗四升一合」とある。元和三年(一六一七)幕府の金山(金山町村)領が成立すると、苅谷原郷のうち殿野入村・赤怒田村・反町村・中村(七嵐村)を金山領に分ち、三八六石五合と高を減じている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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