錦部村(読み)にしごりむら

日本歴史地名大系 「錦部村」の解説

錦部村
にしごりむら

[現在地名]富田林市錦織にしごり寺池台てらいけだい四―五丁目・須賀すが

錦部郡に属し、廿山つづやま村の南にあり、丘陵地から石川左岸にかけて位置する。郷村帳類には錦郡村とも記され、字地にしば細井ほそいがある。細井は「河内志」に「錦郡新家一名細井」とあり、奈良時代前期の細井廃寺跡からは重弧文軒丸瓦ほかが出土した。南北に東高野街道が通り、石川と最も近接する辺りに江戸時代の一里塚二基(府指定史跡)が残る。南西に隣接して錦部新田がある。「河内志」は、行基四十九院の一で「続日本紀」宝亀四年(七七三)一一月二〇日条にみえる「石凝院」の所在地を当村とする(東大阪市の→日下村。古代には錦部郡百済くだら(和名抄)の地であったとみられる。

天正一三年(一五八五)三月一九日の羽柴秀吉判物(加藤文書)に「河内国錦部郡内宇礼志村・錦部村合四百参拾四石事」とみえ、当村の一部が加藤清正に宛行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む