日本歴史地名大系 「若柳宿」の解説 若柳宿わかやなぎしゆく 宮城県:栗原郡若柳町若柳村若柳宿[現在地名]若柳町 川南・川北迫(はさま)川左岸の川北(かわきた)、同右岸の川南(かわみなみ)に町場が立ち、宿場を形成する。「若柳村安永風土記」によれば、慶長三年(一五九八)川北に二町三八間の元(もと)町が立てられ、以後寛永一五年(一六三八)一町四九間の中(なか)町、慶安二年(一六四九)二町五〇間の新(しん)町、元禄一五年(一七〇二)三町一〇間の片(かた)町、明暦三年(一六五七)には四町五七間の川南町(南町か)が割出された。なお川南町は着座格の古内主膳により開かれ、片町は延宝三年(一六七五)古川(ふるかわ)淵を埋立てて割出されたともいわれる(若柳町史)。当宿より下宮野(しもみやの)宿(現築館町)へは二里二七町・本荷九六文、築館(つきだて)宿(現同上)へは三里・本荷七五文、金成(かんなり)宿(現金成町)へは一里三〇町余・本荷五〇文、沢辺(さわべ)宿(現同上)へは一里二四町余・本荷四八文、石森(いしのもり)宿(現登米郡中田町)へは二里半・本荷七五文、また磐井(いわい)郡流の涌津(ながれのわくつ)宿(現岩手県西磐井郡花泉町)へは二里八町・本荷五六文(安永風土記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by