若槻庄(読み)わかつきのしよう

日本歴史地名大系 「若槻庄」の解説

若槻庄
わかつきのしよう

徳治年間(一三〇六―〇八)の大乗院家御領若槻庄土帳徳治御帳(菅孝次郎氏蔵文書)によると、鎌倉末期、若槻庄は興福寺大乗院領荘園であった。条里坪付の記載からみると、当庄は京南二条一里(坪数八、うち池三)、三条一里(坪数三四)にあり、「西限下道」とあり、当庄の所在は現若槻町に比定される。同土帳は詳細な記録であるが、三条一里五坪を例示すると、「一町二反アリ、一品位、八段預所佃、二段預所田、里外二反伝教院三昧田」とある。このうち、一品位については、嘉禄二年(一二二六)勧学院政所下文案(内閣文庫蔵大乗院文書)に「京南三条一里五坪・十五坪若槻庄」とあり、若槻庄は鎌倉初期にさかのぼりうる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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