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茅根伊予之介 ちのね いよのすけ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

茅根伊予之介 ちのね-いよのすけ

1824-1859 幕末の武士。
文政7年生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。弘道館訓導,奥右筆頭取などをつとめる。安政5年藩主徳川斉昭(なりあき)が幕府に処罰されると,家老安島帯刀(あじま-たてわき)らとはかり,幕政改革をめざす戊午(ぼご)の密勅が朝廷から水戸藩にくだるように運動。安政の大獄により捕らえられ,安政6年8月27日処刑された。36歳。名は泰。字(あざな)は伯陽。号は寒緑。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

茅根伊予之介

没年:安政6.8.27(1859.9.23)
生年:文政7(1824)
安政の大獄で刑死した尊攘派水戸藩士。諱は為宜,のちに泰,字は伯陽,伊予之介と称す。父は為敏,母は増子叔茂の娘。会沢安(正志斎),藤田東湖に学び,天保13(1842)年に床几廻に選ばれ翌年弘道館舎長になった。弘化1(1844)年,藩主徳川斉昭の隠居謹慎に際し辞職,家塾を開く。斉昭の処罰解除後に復職。安政3(1856)年奥右筆頭取,同4年小姓頭取。この間,門閥派の結城寅寿処刑を推進。5年,一橋慶喜擁立のための朝廷工作を行う。また,井伊直弼政権崩壊を目指す戊午の密勅の遵奉を主張。安政の大獄で朝廷工作のかどで斬刑。審問のため出頭するに際し死を覚悟し幼い息子への漢詩を門人に託した。

(吉田昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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