日本歴史地名大系 「荊苞村」の解説 荊苞村ばらとうむら 北海道:十勝支庁帯広市荊苞村[現在地名]帯広市東十条北(ひがしじゆうじようきた)・東十条南(ひがしじゆうじようみなみ)・東十一条北(ひがしじゆういちじようきた)・東十一条南(ひがしじゆういちじようみなみ)・東十二条北(ひがしじゆうにじようきた)・東十二条南(ひがしじゆうにじようみなみ)・東十三条北(ひがしじゆうさんじようきた)・東十三条南(ひがしじゆうさんじようみなみ)・東十四条北(ひがしじゆうよじようきた)・東十四条南(ひがしじゆうよじようみなみ)・東十五条南(ひがしじゆうごじようみなみ)明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治三五年(一九〇二)まで存続した河西(かさい)郡の村。下帯広村の東、帯広川最下流部の十勝川との合流点に近い、東を札内(さつない)川に挟まれた地にあったとみられる。近世にはトカチ場所のうち。一八〇〇年(寛政一二年)頃に作製されたとみられる十勝川流域絵図(近藤重蔵蝦夷地関係史料)には札内川と十勝川の合流地点に「バラトブトフ 壱軒」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by