日本歴史地名大系 「十勝支庁」の解説 十勝支庁とかちしちよう 面積:一〇八三一・二八平方キロ帯広(おびひろ)市、広尾(ひろお)郡広尾(ひろお)町・大樹(たいき)町・忠類(ちゆうるい)村、河西(かさい)郡中札内(なかさつない)村・更別(さらべつ)村・芽室(めむろ)町、上川(かみかわ)郡清水(しみず)町・新得(しんとく)町、河東(かとう)郡音更(おとふけ)町・鹿追(しかおい)町・士幌(しほろ)町・上士幌(かみしほろ)町、中川(なかがわ)郡豊頃(とよころ)町・幕別(まくべつ)町・池田(いけだ)町・本別(ほんべつ)町、足寄(あしよろ)郡足寄(あしよろ)町・陸別(りくべつ)町、十勝(とかち)郡浦幌(うらほろ)町十勝川およびその支流の流域と南十勝を合せ、西部を日高山脈、北部を石狩山地、東部を白糠(しらぬか)丘陵に囲まれた一市一六町三村を管内とする。南東は太平洋に面する。明治三〇年(一八九七)郡役所制を廃止し北海道庁支庁制が制定されたのに伴い(勅令三九二号)、同年一一月河西郡下帯広村(現帯広市)に河西支庁が設置され、旧十勝国河西・河東・上川・中川・十勝・当縁(とうぶち)・広尾の七郡を管轄区域とした(勅令三九五号)。同三九年三月末をもって当縁郡は廃止されて広尾郡・十勝郡へ編入された(勅令二三号)。昭和七年(一九三二)八月十勝支庁と改称した。同二三年一〇月釧路国支庁管轄であった足寄郡二村を十勝支庁の管轄とした。足寄郡の所轄については国郡設定時から異論があり、たとえば明治七年六月北垣国道(当時開拓使浦河支庁)は本庁大判官に十勝釧路国境につき意見書を提出、「釧路国足寄郡ノ儀ハ、十勝国部内ノ処、松浦竹四郎釧路土人ノ此地ヲ仮リ移住スルヲ以テ、誤テ釧路国部内ニ組入レ、足寄ノ西山河ノ中央ヲ取テ両国ノ境ヲ定メ候趣キ、国道巡察ノ節聞調ノ手続ニ付、尚実地ノ上申立候見込ニ候処、廃庁ノ上ハ可然御調有之度候」と述べている(浦河支庁庁政引渡演説書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「十勝支庁」の意味・わかりやすい解説 十勝〔支庁〕とかち 「十勝総合振興局」のページをご覧ください。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by