荒井英郎(読み)アライ ヒデオ

20世紀日本人名事典 「荒井英郎」の解説

荒井 英郎
アライ ヒデオ

昭和期の記録映画作家



生年
明治44(1911)年6月28日

没年
昭和62(1987)年10月18日

出生地
東京市下谷区下根岸

学歴〔年〕
早稲田第一高等学院中退,文化学院文学部〔昭和11年〕卒

主な受賞名〔年〕
教育映画祭最高賞〔昭和28年〕「月の輪古墳」,産業映画コンクール文部大臣賞〔昭和43年〕「屋久杉」,ライプチヒ映画祭金鳩賞〔昭和50年〕「われわれは監視する・核基地横須賀」

経歴
在学中の昭和10年松竹蒲田撮影所助監督部に入り、五所平之助につく。15年大船撮影所の大日本文化映画製作所に移り文化映画監督となり、「海を照らす人々」でデビュー。26年以降フリー。代表作品に「月の輪古墳」「スラム」「屋久杉」「われわれは監視する・核基地横須賀」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒井英郎」の解説

荒井英郎 あらい-ひでお

1911-1987 昭和時代の映画監督。
明治44年6月28日生まれ。文化学院在学中に松竹にはいり,卒業後の昭和15年「海を照らす人々」でデビューし,26年フリーとなる。28年「月の輪古墳」で教育映画祭最高賞,50年「われわれは監視する・核基地横須賀」でライプチヒ映画祭金鳩賞。昭和62年10月18日死去。76歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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