松竹(読み)まつたけ

精選版 日本国語大辞典 「松竹」の意味・読み・例文・類語

まつ‐たけ【松竹】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 松と竹。
    1. [初出の実例]「色々の造花を植ゑ、まつたけなどをゑりつけて」(出典:栄花物語(1028‐92頃)月の宴)
  3. 正月の松飾りのこと。
    1. [初出の実例]「その門の前に松竹を立侍り〈略〉としのはじめの祝事にたて侍るべし」(出典:世諺問答(1544)一月)

しょう‐ちく【松竹】

  1. 〘 名詞 〙 松と竹。祝い事の景物として、一対で用いられる。まつたけ。《 季語・新年 》
    1. [初出の実例]「松竹含春彩、容暉寂旧墟」(出典:懐風藻(751)過神納言墟〈藤原万里〉)
    2. [その他の文献]〔南史‐張沖〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松竹」の意味・わかりやすい解説

松竹(株)
しょうちく

演劇、映画、演芸の製作、配給、興行会社。双子の兄弟、白井松次郎(しらいまつじろう)と大谷竹次郎(おおたにたけじろう)が興行の仕事を始めた1895年(明治28)を創業とし、1902年(明治35)、二人の名をあわせた松竹合名社を設立。京都の南座(みなみざ)、大阪の文楽座、東京の歌舞伎(かぶき)座など、東西の主だった劇場と、歌舞伎、新派の俳優を傘下に収めた。1920年(大正9)に松竹キネマ合名社を設立して映画界に参入。ハリウッドを手本に、小谷(こたに)ヘンリー(1887―1972)らのスタッフをアメリカから招聘(しょうへい)し、小山内薫(おさないかおる)が校長を務める俳優学校を開設、蒲田(かまた)に撮影所を建設した。歌舞伎以来の女形を廃し、第1作『島の女』(1920)の川田芳子(かわだよしこ)(1895―1970)や、『虞美人草(ぐびじんそう)』(1921)の栗島すみ子らの女優を起用して人気を集めた。1924年、城戸四郎(きどしろう)が所長になると、社会の現状を反映しながら笑いと涙、明朗さと詩情を盛り込んだ蒲田調とよばれる路線が形成され、牛原虚彦(うしはらきよひこ)(1897―1985)の『陸の王者』(1928)、小津安二郎(おづやすじろう)の『生れてはみたけれど』(1932)、五所平之助(ごしょへいのすけ)の『伊豆の踊子』(1933)などの作品が生まれた。また、五所の『マダムと女房』(1931)の成功が、トーキー時代の幕開けを告げ、京都の下加茂(しもかも)撮影所(1923年開設)では、衣笠貞之助(きぬがさていのすけ)監督と林長二郎(はやしちょうじろう)(長谷川一夫(はせがわかずお))のコンビによる時代劇がヒットした。1936年(昭和11)に撮影所を蒲田から大船に移した後も、喜劇やホームドラマ、『愛染かつら』(1938~1939)などのメロドラマを主流にした映画作りが大船調として受け継がれていった。

 演劇の分野では、歌舞伎、新派以外にも幅を広げ、1928年(昭和3)に設立された松竹楽劇部が、松竹少女歌劇を経て1933年に松竹歌劇団SKD)となり、華麗なレビューを展開。1928年に旗揚げした劇団、松竹家庭劇が、1948年(昭和23)には松竹新喜劇となり、渋谷天外(しぶやてんがい)、藤山寛美(ふじやまかんび)の活躍により人気を博した。

 第二次世界大戦後の大船撮影所では、小津安二郎、渋谷実、吉村公三郎、木下恵介、大庭秀雄、中村登(なかむらのぼる)(1913―1981)、野村芳太郎(のむらよしたろう)らの監督が活躍した。木下の『カルメン故郷に帰る』(1951)がカラー映画に先鞭(せんべん)をつけ、大庭の『君の名は』(1953)、木下の『二十四の瞳』(1954)などのヒット作が生まれた。1950年代の終わりから、大島渚、篠田正浩吉田喜重(よしだよししげ)らの新人監督たちが、それまでのセオリーを破る革新的な作品を撮り、松竹ヌーベル・バーグとして注目を集めた。1969年に登場した山田洋次監督の『男はつらいよ』は1995年(平成7)までに48本が製作され、松竹を代表する長寿シリーズとなった。1995年に大船撮影所内にオープンしたテーマパーク「鎌倉シネマワールド」が業績不振に陥るなど、1990年代後半に経営の危機を迎えるが、2000年(平成12)に大船撮影所を閉鎖するといった思いきった改革を行って切り抜けた。旧作映画のデジタル技術によるリニューアルや、シネマ歌舞伎の製作、歌舞伎座の改築など、新旧の要素を組み合わせながら、東宝と並ぶ、演劇・映画界の一方の雄として経営を続けている。資本金330億円(2012)、売上高756億円(2012。連結ベース)。

[佐藤 武]

『田中純一郎編『松竹九十年史』(1985・松竹)』『永山武臣監修『松竹百年史』(2006・松竹)』


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百科事典マイペディア 「松竹」の意味・わかりやすい解説

松竹[株]【しょうちく】

映画・演劇・大衆演芸・歌舞伎の製作配給会社。白井松次郎・大谷竹次郎兄弟が1902年設立した松竹(まつたけ)合名社が前身。京都の劇場の中売りからはじめ,次々と劇場の直営に乗り出し,人気役者を掌握して,東西の演劇界を制圧。1920年には松竹キネマ合名社を創立。米国の映画企業機構を取り入れ,明るい映画・女性映画を製作し,一時代を築いた。日本最初の本格トーキー《マダムと女房》(1931年),メロドラマ《愛染かつら》(1938年),寅さんシリーズ《男はつらいよ》など多くの映画で知られる。監督は小津安二郎五所平之助斎藤寅次郎木下恵介山田洋次らが活躍。1995年にはテーマパーク〈鎌倉シネマワールド〉を開設したが,不振で1998年閉鎖。洋画では東急・東映と配給網を整え,《ロード・オブ・ザ・リング》《ファインディング・ニモ》《ラスト・サムライ》などヒット作に恵まれた。本社東京。2011年資本金330億円,2011年2月期売上高902億円。2011年2月期売上構成(%)は,映像関連59,演劇26,不動産9,その他9。
→関連項目今村昌平大島渚岡鬼太郎川島雄三城戸四郎神代辰巳佐田啓二篠田正浩島津保次郎清水宏松竹歌劇団新藤兼人鈴木清順高峰秀子成瀬巳喜男にっかつ(日活)[株]野村芳太郎晩春森崎東山本薩夫吉田喜重吉村公三郎笠智衆

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改訂新版 世界大百科事典 「松竹」の意味・わかりやすい解説

松竹[株] (しょうちく)

演劇・映画・演芸の製作,興行を主とした興行資本。1902年白井松次郎大谷竹次郎の双生児の兄弟が,名まえの頭文字を組み合わせて創立した松竹(まつたけ)合名社が成長したもの。京都の劇場の中売りから身をおこし,創立の年に阪井座を経営,新派俳優静間小次郎と提携,京都・明治座に進出,06年には初世中村鴈治郎と提携して大阪へ進出,同時に京都・南座を直営して,まず京都を中心に礎を固めた。10年,白井に関西を託して大谷が上京,新富座を買収して曾我廼家(そがのや)劇を,次いで本郷座を直営して新派大合同一座を掛けるなど東京進出の第一歩をしるし,新派俳優の大部分を掌握,さらに12年には明治座の市川左団次一座の興行に参与し,左団次を専属とするなど明治期にその勢力を不動のものにした。そして13年には,東京・歌舞伎座の経営を委任されて営業相談役となり,翌年には同座を借りて直営し,5世中村歌右衛門,11世片岡仁左衛門,15世市村羽左衛門ら歌舞伎俳優を翼下におさめ,17年には明治座を直営とし,築地に東京松竹事務所を設け,18年には浅草の娯楽街へ進出,風雲児ぶりを発揮した。また,その間に白井は,大阪の文楽座や,浪花座,中座,角座,朝日座と道頓堀の興行街を制圧,直営とし,関西の歌舞伎俳優すべてをおさえるという活躍で,東西の演劇界を席巻した。この成長の因として,兄弟の演劇に対する情熱と,それまで水ものといわれた興行経営を改め,旧態のルーズな上演時間を定時としたり,斬新といわれた帝国劇場の経営をヒントに悪弊をただしたり,文芸家の新戯曲を採用したり,新人に道を開くなど,近代化,合理化の努力が挙げられている。

 劇界の掌握を終えた兄弟は,次に映画に着目,1920年松竹キネマ合名社を創立,帝国活動写真を買収し,新劇から小山内薫,新派から野村芳亭を招いて,蒲田撮影所で映画製作を開始した。栗島すみ子,川田芳子らの女優を中心に,ヘンリー小谷,エドワード田中らアメリカ映画仕込みの製作スタッフを起用して,女優映画の全盛時代を築いた。26年にはルナパーク社を併合し,大正期にその礎を固め,恋愛と家庭を主題とし,女性層を手堅くとらえて,のち36年以降神奈川県大船への撮影所移転に伴い〈大船調〉と呼ばれる方向を打ち出している。

 さらに,製作者城戸四郎の強力な指導のもとで,清水宏,五所平之助,小津安二郎ら若手監督が活躍,また斎藤寅二郎監督のナンセンス喜劇,当時,量産体制に入ったレコードによる流行歌とのタイアップ企画(《愛染かつら》など)の成功などによって,急速に日本の代表的な映画会社となった。一方,20年には,洋風楽劇,歌劇を模して,後年松竹少女歌劇に発展する松竹楽劇部を創立するなど多彩な活動を試みた。23年の関東大震災で東京,横浜の直営劇場すべてを失うが,28年明治座再築までにほとんどを復興,同年松竹興行株式会社となった。この年には市村座の直営を委任されて6世尾上菊五郎を,さらに30年帝国劇場の経営を手がけ,帝劇専属の俳優らを翼下におさめるに及んで,名実ともに演劇松竹トラストを完成した。37年,演劇,映画のほか松竹土地など傘下の諸会社を統合,松竹株式会社となった。東宝とともに日本興行界の中心的存在である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松竹」の意味・わかりやすい解説

松竹
しょうちく

演劇,映画,各種演芸の興行会社で,東宝と並ぶ大興行資本。白井松次郎,大谷竹次郎兄弟が京都の阪井座の経営に着手,1902年松竹合名会社を設立。その後,京都南座を直営にし,東京の新富座を買収,大阪の浪花座,中座,角座,朝日座,文楽座なども買収して主要劇場のほとんどを入手。一方,新派俳優全部,関西の歌舞伎俳優全部,東京の歌舞伎俳優の7割以上を翼下に収め,20年には松竹キネマ合名会社 (1921年,株式会社) を発足させて,劇界支配をほぼ成就した。 37年社名を松竹株式会社とする。大衆娯楽の提供,歌舞伎,文楽などの伝統演劇の保存,育成に果した役割は大きい。映画はおもにメロドラマで戦前,戦後王座を占めたが,65年以降不振となり,69年から『男はつらいよ』を中心とした喜劇物に安定をみせた。 95年 10月大船撮影所内に鎌倉シネマワールドを開設したが,99年には閉鎖した。事業内容は,演劇 47%,邦画 15%,事業 13%,洋画 10%,ビデオ9%,テレビ3%,シネマワールド3%。年間営業収入 563億 3500万円 (連結。うち輸出1%) ,資本金 185億 1600万円,従業員数 636名 (1999) 。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「松竹」の解説

松竹

正式社名「松竹株式会社」。英文社名「Shochiku Co., Ltd.」。情報・通信業。大正9年(1920)「帝国活動写真株式会社」設立。同10年(1921)「松竹キネマ株式会社」に改称。昭和12年(1937)現在の社名に変更。本社は東京都中央区築地。映画・演劇の製作・興行会社。歌舞伎興行が発祥。主力は劇場用・テレビ用映画など映像関連事業。東京(第1部)・札幌・福岡の各証券取引所上場。証券コード9601。

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とっさの日本語便利帳 「松竹」の解説

松竹

創業者兄弟の名前、白井松次郎+大谷竹次郎

出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松竹の言及

【大谷竹次郎】より

…白井松次郎とは双生児でその弟。四条花見小路祇園館の売店を営む両親を手伝い,20歳で興行界に乗り出し,新京極坂井座の金主,25歳で兄松次郎と松竹合名社を創立,関西を兄に託して単身上京し,新富座,本郷座などを傘下におさめ,興行師の地歩を揺るぎないものとした。1914年には東京・歌舞伎座でも興行をし,演劇界の実力者として活躍した。…

【時代劇映画】より

…こうして,23年という年を中心に,いくつかの動きが〈時代劇〉を生み出すことになる。 まず,松竹が1922年,伊藤大輔脚本,野村芳亭監督,勝見庸太郎主演《清水次郎長》を〈純映画化されたる旧劇〉と宣伝して公開し,翌23年,同じトリオによる《女と海賊》を〈新時代劇映画〉と銘打って世に出した。これが〈時代劇〉という呼称の始まりで,伊藤大輔はその間の経緯を次のように記している(《時代映画》1955年5月号)。…

【少女歌劇】より

…若い女性だけのチームによって,ショーやオペレッタ風の音楽劇を演じる日本独特の大衆的な演劇形式。現在は名称から〈少女〉の字をはずしているが,〈宝塚歌劇団〉〈松竹歌劇団〉の2劇団がある。
[宝塚歌劇団]
 1912年に白木屋呉服店が西野恵之助の提唱で少女歌劇団を結成,同店演芸場で歌劇《羽子板》を上演したのが少女歌劇のはじめといわれる。…

【日本映画】より

…こうして日活は,〈活動写真〉の時代から〈映画〉の時代へ入っていく。
【小山内薫と谷崎潤一郎】

[小山内薫と松竹]
 〈活動写真〉が〈映画〉に生まれ変わっていくに際し,大きな役割を果たした人物の一人に,〈新劇の父〉小山内(おさない)薫がいる。1920年,松竹が演劇界から映画界への進出を目ざして松竹キネマ合名社(のち株式会社)を設立したとき,小山内薫は理事として招かれるとともに松竹キネマ俳優学校の校長に就任,東京蒲田の撮影所が開設されるや,総監督を任ぜられた。…

※「松竹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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