荒戸川沢村(読み)あらとこうぞうむら

日本歴史地名大系 「荒戸川沢村」の解説

荒戸川沢村
あらとこうぞうむら

[現在地名]吉川町河沢こうぞう

北西山口やまぐち村、南東入川沢いりこうぞう村に接する。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「柿崎分此外三方分かうさう村 中」とみえ、本納五四石七斗八升四合五勺・縄高二一七石一斗一升五合、家八軒・三一人とある。正保国絵図に川沢村とみえ、延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では荒戸河沢村として高三三七石九斗。天和三年郷帳によれば高二三九石四斗余、同所新田高八六石三斗余。享保二年(一七一七)糸魚川藩領に属し幕末に至る。同九年の蝋実定納村々割付帳(石野武教氏蔵)によると、山蝋実一升八合・里蝋穂二二貫三八〇匁(うち二三〇匁は同新田)を割付けられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android