日本歴史地名大系 「荻野山中藩陣屋跡」の解説 荻野山中藩陣屋跡おぎのやまなかはんじんやあと 神奈川県:厚木市中荻野村荻野山中藩陣屋跡[現在地名]厚木市下荻野甲州道の西側、畑中に山中城跡の碑が建っている。初代大久保教寛は元禄一一年(一六九八)小田原藩より六千石の分知を受けた。宝永三年(一七〇六)五千石加増、享保三年(一七一八)には相模国内で五千石を再加増された。相州領は中荻野(なかおぎの)村・下荻野(しもおぎの)村・三田(さんだ)村・妻田(つまだ)村、高座(こうざ)郡下溝(しもみぞ)村(現相模原市)、足柄上(あしがらかみ)郡山田(やまだ)村(現大井町)の六ヵ村である。同一五年、弟教平に三千石を分知し、一万三千石となる。初め大久保氏は駿河国駿東郡松永(まつなが)村(現沼津市)に陣屋を構えていたが、天明三年(一七八三)二代教翅のとき松永陣屋を相模国領内に移すこととなり、下荻野村と中荻野村にまたがる小字山中(やまなか)の地が選ばれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by