菅了法(読み)スガ リョウホウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「菅了法」の解説

菅 了法
スガ リョウホウ


肩書
衆院議員(独立倶楽部)

別名
号=桐南

生年月日
安政4年2月7日(1857年)

出生地
島根県

学歴
慶応義塾

経歴
交詢社社員として「交詢雑誌」編集に従事。のち本願寺の学校に学び、オックスフォード派遣留学生として英国留学。帰国後の明治21年後藤象二郎創刊の「政論」記者となり、筆禍入獄。22年特赦。23年島根4区から衆院議員となり、独立倶楽部に所属、「東洋新報」を創刊。のち僧籍に復し、鹿児島県川内町に本願寺別院を建て、布教。以後築地本願寺出張所長、本願寺内局執行を務めた。著書に「哲学論綱」「倫理要論」がある。

没年月日
昭和11年7月26日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「菅了法」の解説

菅 了法
スガ リョウホウ

明治〜昭和期の評論家,僧侶 衆院議員(独立倶楽部)。



生年
安政4年2月7日(1857年)

没年
昭和11(1936)年7月26日

出生地
島根県

別名
号=桐南

学歴〔年〕
慶応義塾

経歴
交詢社社員として「交詢雑誌」編集に従事。のち本願寺の学校に学び、オックスフォード派遣留学生として英国留学。帰国後の明治21年後藤象二郎創刊の「政論」記者となり、筆禍で入獄。22年特赦。23年島根4区から衆院議員となり、独立倶楽部に所属、「東洋新報」を創刊。のち僧籍に復し、鹿児島県川内町に本願寺別院を建て、布教。以後築地本願寺出張所長、本願寺内局執行を務めた。著書に「哲学論綱」「倫理要論」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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