文字の獄。著書や新聞雑誌その他に発表した文章が,権力批判,風俗壊乱を理由に官憲の処罰の対象となり,体刑,罰金,発売禁止などの処分をうけること。出版による文学や言論の広範な普及に対処するために,国家機関が検閲制度を強化するにしたがって筆禍の事例は増加するが,日本では宮武外骨の《筆禍史》(1911)に〈筆禍の史実は此徳川時代に入りて,政治史の片影と見るべき社会的事象の一と成りしなり〉とあるように,木版印刷が盛行する江戸時代初期から,出版物の取締りがはじまっている。山鹿素行が《聖教要録》,林子平が《海国兵談》により,それぞれ幕府から処罰をうけたことはよく知られているが,享保,寛政,天保の三大改革にあたっては,戯作(げさく)小説も風俗壊乱のかどで取締りの対象となった。寛政改革の恋川春町,山東京伝,天保改革の為永春水,柳亭種彦らの筆禍である。
近代に入ってからは,明治政府が自由民権の言論を弾圧するため,1875年に施行した讒謗(ざんぼう)律,新聞紙条例,出版条例は,5年間で200余名の言論人に実刑を科することになった。成島柳北,末広鉄腸,植木枝盛らの筆禍が知られているが,禁獄3年,罰金800円を科された《東京曙新聞》の藤波篤二郎はもっとも重い処罰の例である。民権運動が大幅に後退した明治20年代以降は,さすがに司法処分は緩和されるものの,納本制度,発売禁止,出版物の押収を3本の柱とする内務省の検閲体制はかえって強化された。内田魯庵は,〈文芸作品の発売禁止問題--《破垣》発売禁止に就き当路者及江湖に告ぐ〉(1901)で,こうした検閲制度への抗議を表明したが,島崎藤村の《旧主人》(1902),永井荷風の《ふらんす物語》(1909)から昭和のプロレタリア文学まで,発禁処分をうけた第2次大戦前の文学作品はおびただしい量に上る。表現の自由を保証する戦後の新憲法にもかかわらず,刑法175条を適用したチャタレー裁判以降の一連の文学裁判は,筆禍の問題が現代にも生きつづけていることを示している。
→禁書 →発禁
執筆者:前田 愛
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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