菅沼城跡(読み)すがぬまじようあと

日本歴史地名大系 「菅沼城跡」の解説

菅沼城跡
すがぬまじようあと

[現在地名]作手村菅沼 城山・前田

上下菅沼の中央、菅沼川右岸の山裾(字前田)にあり、現在は耕地となって旧状は残らぬが、菅沼本城跡という。「三河国二葉松」に「菅沼村古城 在二ケ所、一ケ所不知、菅沼信濃本名土岐家木和田三郎左衛門改菅沼氏、始号新三郎」とある。菅沼信濃守俊治の居城で、南朝の小倉宮と通じたので、永享六年(一四三四)将軍足利義教の命で、土岐小次郎、一説では木和田三郎左衛門が菅沼俊治を討取ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報