菊屋新助墓(読み)きくやしんすけのはか

日本歴史地名大系 「菊屋新助墓」の解説

菊屋新助墓
きくやしんすけのはか

円福寺境内にある。新助は安永二年(一七七三)野間のま小部おべ(現越智郡波方町)に生れ、松山に移って綿織物製造に従事し、菊屋と称した。京都から絹織物用の花機を導入し、改良して高機とよぶ綿織用をつくり、伊予結城の品質向上を図った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む