デジタル大辞泉
「野間」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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の‐あい‥あひ【野間】
- 〘 名詞 〙 野。野原。
- [初出の実例]「野間 ノアイ」(出典:書言字考節用集(1717)一)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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野間
のま
知多半島中央のやや南、伊勢湾に面し、海岸は砂浜で、半島中央を南走する知多丘陵が東部を限っている。丘陵中の高峰秋葉山の支脈が西岸に迫り富具崎となり、小野浦との境をなす。富具崎や稲早川の河口は北西の季節風を避ける格好の船溜である。
初見は平城宮木簡で「富具郷野間里和尓部臣牟良御調塩□平元年十月十九日 郷長和尓部安倍」や「尾張国知多郡富具郷野間里
塩三斗 十月四日」などとあり、野間では塩を製し調として都へ送っていた。野間里は現美浜町野間および南知多町内海辺りに比定される(→野間内海庄)。戦国期、一色氏の勢力が知多半島に及び、やがて大野城(現常滑市)を拠点として半島全域に勢力を伸長、野間もその支配下に置かれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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野間
のま
愛知県知多(ちた)半島西岸、知多郡美浜町の一地区。旧野間町。近世伊勢(いせ)湾海運の基地で、「野間の塩船」ともいわれ、おもに塩を扱う廻船(かいせん)業が発達していた。名古屋鉄道知多新線野間駅があり、国道247号が通じる。野間と小野浦の二つの海水浴場がある。県史跡の大御堂寺(おおみどうじ)は「野間大坊(だいぼう)」とよばれる。鵜(う)の山ウ繁殖地は国の天然記念物、小野浦には野間埼灯台がある。
[伊藤郷平]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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野間
のま
愛知県知多半島,美浜町西部にある旧町名。 1955年河和町と合体,美浜町と成る。伊勢湾にのぞみ,江戸時代は「野間の塩船」で知られる廻船業が南方の小野浦を中心として発展した。現在奥田,小野浦とともに海水浴場で知られ,またノリの養殖地でもあり,野間崎 (富具崎) の景勝地や源義朝の墓がある大御堂寺 (野間の大坊) も有名。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の野間の言及
【塩廻船(塩回船)】より
…明治以降の例をあげると,1897年ころ関東行きの赤穂塩の廻船は,赤穂船27艘,浦賀船23艘,紀州船5艘,東京船4艘となっている。また尾張国知多半島の野間(愛知県知多郡美浜町野間)は著名な塩廻船の根拠地で,野間伊藤家の塩廻船をみると,幕末,江戸方面と瀬戸内を年4~5回往復している。関東方面から干鰯(ほしか),〆粕(しめかす),大豆,小麦類を瀬戸内にもたらし,播州赤穂をはじめ瀬戸内各地から塩を仕入れ,東海筋の尾鷲,清水,沼津,浦賀,神奈川,江戸で販売している。…
【美浜[町]】より
…名鉄河和(こうわ)線が通じる中心集落の河和(こうわ)は,紡績,食品加工などの工場が立地し,ノリ養殖などの漁業や観光の拠点にもなっている。伊勢湾沿岸の野間は,江戸時代,千石船による海上輸送の基地として栄えたところで,現在,海岸一帯は三河湾国定公園に指定され,海水浴,潮干狩りなどでにぎわう。中央部の丘陵地では米作,ミカン栽培,養豚などが盛ん。…
【中種子[町]】より
…町域はゆるやかな丘陵地からなり,北部は山林,中南部は耕地が多い。中心集落の野間は島の南北をつなぐ交通の要地で,近くには種子島空港があり,大阪,鹿児島へ航空路が通じる。基幹産業は農業で,1戸当りの平均経営規模163a(1980)は県平均を大きく上回る。…
※「野間」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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