木屋町(読み)きやまち

精選版 日本国語大辞典 「木屋町」の意味・読み・例文・類語

きやまち【木屋町】

  1. ( 江戸初期、材木問屋が多かったために呼ばれた ) 京都市二条から五条までの間、高瀬川沿い南北に通じる街路旅館ホテル料亭などが並び、三条から四条の間はバー喫茶店などが集中する歓楽街

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日本歴史地名大系 「木屋町」の解説

木屋町
きやちよう

[現在地名]松山市木屋町一―三丁目

松山城下町の西部にあり、府中ふちゆう町に平行する南北の町筋。北城濠から起こり、南は堀之内北門に通ずる。東はしろ山の西斜面に、西は府中町に接し、北は三津みつ道と交差して味酒みさけ村に至る。町名の初見は、元禄年間(一六八八―一七〇四)の記事を載せた「松山町鑑」(伊予史談会蔵)の「外巡町弐拾三町」のなかにみえる。町の南端部に武家屋敷があるが、その他の大部分は町家である。北部は年貢地であるが、古くからある南部は免租地となっている。


木屋町
きやちよう

中京区夷川通麩屋町東入・同西入

東西に通る夷川えびすがわ(旧冷泉小路)の両側町。麩屋町ふやちよう通を挟んで東に飛地がある。

平安京の条坊では、左京二条四坊三保一三町の西北隅付近にあたり、大部分は冷泉富小路の交点上にある。飛地は冷泉小路上にあたる。

百錬抄」建長元年(一二四九)二月一日条によれば、太政大臣藤原実氏の冷泉富小路亭が、この辺りにあったと思われる。この邸は一時御所ともなった。「経俊卿記」建治二年(一二七六)六月二五日条に「申刻許参仕御所冷泉富小路御所也」とある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木屋町」の意味・わかりやすい解説

木屋町
きやまち

京都市のほぼ中央部、二条から五条までの高瀬(たかせ)川東側の地区。南北の街路は木屋町通りという。1614年(慶長19)角倉了以(すみのくらりょうい)による高瀬川開削で、大坂や伏見(ふしみ)から薪炭(しんたん)、木材などが運ばれ、高瀬川沿いには材木商が集まり木屋町とよばれるようになった。現在では川沿いの柳並木に昔のおもかげをとどめるのみで、旅館、料亭などが軒を連ね、ことに三条、四条間は花街先斗(ぽんと)町と接し、バー、飲食店などの集まる歓楽街をなしている。2003年(平成15)に京都市により木屋町界隈(かいわい)が「美しいまちづくり重点地区」に指定された。

[織田武雄]


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