20世紀日本人名事典 「落合朗風」の解説 落合 朗風オチアイ ロウフウ 大正・昭和期の日本画家 生年明治29(1896)年8月17日 没年昭和12(1937)年4月15日 出生地東京市芝区 本名落合 平治郎 学歴〔年〕川端画学校卒 主な受賞名〔年〕青龍賞〔昭和6年〕「華厳仏」 経歴小村大雲に師事。大正5年文展に「春なが」が初入選、8年院展に「エバ」、9年「島村余情」、10年「牛」と入選を続ける。13年帝展に「三十三間堂」を出品、以後昭和6年まで毎回出品。6年青龍展に「華厳仏」を出品し青龍賞を受賞、翌年青龍社人となる。9年同社を離脱、明朗美術連盟を創立し、主宰。12年オリンピック芸術評議員を委嘱された。他の作品に「洛外風趣」「南房漁港」「浴室」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「落合朗風」の解説 落合朗風 おちあい-ろうふう 1896-1937 大正-昭和時代前期の日本画家。明治29年8月17日生まれ。川端画学校にまなび,のち小村大雲に師事。昭和6年「華厳仏」で青竜賞を受賞。翌年青竜社同人となるが,9年脱退して明朗美術連盟を創立した。昭和12年4月15日死去。42歳。東京出身。明治商業卒。本名は平次郎。作品に「洛外風趣」「那覇(なは)の麗人」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by