落幡村(読み)おちはたむら

日本歴史地名大系 「落幡村」の解説

落幡村
おちはたむら

[現在地名]秦野市鶴巻(つるまき)

東を善波(ぜんば)川、南を大根(おおね)川が流れる。東は丸島(まるしま)村(現平塚市)、西は北矢名(きたやな)村、南は真田(さなだ)村(現平塚市)、北は善波村・笠窪(かさくぼ)村(現伊勢原市)に接する。小田原道が中央を西から北へ、大山道が東方を南から北へ通る。小田原衆所領役帳には左衛門大夫「百九拾四貫文 中郡落畑之郷」「六拾四貫三百文 同所辰歳増分」とある。

近世は初め幕府直轄領、寛永一〇年(一六三三)旗本成瀬・小田切・松平領の三給、宝暦一〇年(一七六〇)旗本成瀬・松平領と下総佐倉藩領の三給。天保六年(一八三五)の村明細帳(秦野市史二)によれば田七四町四反余、畑・屋敷八〇町四反余、百姓林四町五反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む