日本歴史地名大系 「蓮川村」の解説
蓮川村
はすかわむら
田圃を隔てて北に
天保一三年(一八四二)の蓮花田村の小山内家由緒書(津軽新田開発者の系譜)によれば、二代目作右衛門清光が貞享二年(一六八五)に自費で蓮川村を開き、家数四三とある。享保一二年(一七二七)広須組に属し、広須通二三ヵ村の一つで村位は下とある(平山日記)。元文元年(一七三六)の検地帳によれば、田畑屋敷合せて六八町六反六畝二一歩、村高三六六・九八四石であった。うち田方は六〇町歩で三四八・九七一石、上田から下々田まで設定され、下々田が四〇町一畝二三歩、二〇〇・〇九一石とあり、畑方は八町六反六畝二一歩で一八・〇一三石、下畑と下々畑のみで、下々畑が六町一反九畝七歩、六・一九六石とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報