日本歴史地名大系 「永岡村」の解説 永岡村ながおかむら 福岡県:筑紫野市永岡村[現在地名]筑紫野市永岡・むさしヶ丘(おか)一―二丁目・桜台(さくらだい)一丁目俗明院(ぞくみよういん)村・立明寺(りゆうみようじ)村の南東にあり、北東部を山口(やまぐち)川が南東へ流れ南流してきた宝満(ほうまん)川に合流する。西は萩原(はぎわら)村。北東部を東西に日田街道が通っていた。村名は長岡とも記される(慶長石高帳など)。「和名抄」所載の御笠(みかさ)郡長岡(ながおか)郷の遺称地とされる。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状によれば、「長岡」の田畠二町と屋敷一ヵ所が安楽寺(太宰府天満宮)領であった。大永六年(一五二六)四月一五日の太宰府天満宮宮師快真注進状(満盛院文書/大宰府・太宰府天満宮史料一四)では長岡村二町は太宰府天満宮満盛(まんじよう)院領となっている。 永岡村ながおかむら 青森県:西津軽郡木造町永岡村[現在地名]木造町蓮川(はすかわ)田圃を隔てて北に兼館(かねたて)村、東に今市(いまいち)村、南に蓮川村、西に永田(ながた)村。貞享四年(一六八七)には姥萢(うばやち)村(現五所川原市)の支村であったが、享保一二年(一七二七)広須組に属し、広須通二三ヵ村の一つで村位は下とある(平山日記)。元文元年(一七三六)の検地帳によれば、田畑屋敷合せて八町四反二四歩、村高四五・〇五石であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by