日本歴史地名大系 「薬勝寺跡」の解説 薬勝寺跡やくしようじあと 和歌山県:和歌山市河南地区薬勝寺村薬勝寺跡[現在地名]和歌山市薬勝寺古代から中世にかけて存在した寺院。昭和四五年(一九七〇)頃まで、薬王(やくおう)寺正面参道入口の右手に薬勝寺大門の礎石が九個あった。治安三年(一〇二三)一一月二三日の太政官符案(国立史料館蔵名草郡古文書所収薬王寺文書)によると、薬勝寺が開発した名草(なくさ)郡三上野(みかみの)院内の岡田(おかだ)村・多太(おおた)村(現和歌山県海南市)、本渡(もとわたり)村・勢田(せた)村(和歌山市)にある寺田二〇町の租税官物などが免除されており、その際寺の草創を「件寺天平年中、沙門威光上人・紀伊秀貞相共合力、為鎮護国家所創立也」と記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by