藁科・藁科庄(読み)わらしな・わらしなのしよう

日本歴史地名大系 「藁科・藁科庄」の解説

藁科・藁科庄
わらしな・わらしなのしよう

藁科川とそれに合流する多くの支流に沿って形成された谷底平地や山間部を含む広域の庄園。藁科川沿いの道は山間を縫って大井川上流の千頭(せんず)(現本川根町)に通じており、重要な交通路であった。

〔藁科〕

鎌倉後期の鉄牛円心著「東福開山聖一国師年譜」によると、京都東福寺開基の聖一国師円爾が建仁二年(一二〇二)一〇月一五日に「駿州安部郡藁科」で生れた。文和二年(一三五三)二月、今川範氏の家臣伊達景宗が藁科越をして南朝の拠点護応土(ごおうど)城(現本川根町)や萩多和(はぎたわ)城に攻め入っている(「伊達景宗軍忠状」・同月一八日「今川範氏書下」駿河伊達文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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