改訂新版 世界大百科事典 「徳大寺家」の意味・わかりやすい解説
徳大寺家 (とくだいじけ)
藤原氏北家閑院流の権大納言公実の男左大臣実能を始祖とする堂上公家。閑院流は歴代の子女が天皇の後宮に入っている。たとえば公成の女茂子は後三条天皇の女御となって白河天皇を生み,実季の女茨(苡)子が堀河天皇の妃となって鳥羽天皇を生み,公実の女璋子は鳥羽天皇の皇后になって,崇徳・後白河両天皇を生んでいる。特に院政を行った白河・鳥羽・後白河3上皇がすべてこの流からでているので,院政期に勢力があり,公実の3子,すなわち実行が三条家を,通季が西園寺家を,実能が徳大寺家を起こし,いずれも摂関家につぐ清華という家格となった。初代実能は璋子と同腹で,鳥羽院の信任が厚く,女育子も二条天皇の皇后になっている。実能は京都衣笠に徳大寺を建立したので,これが家名となった。笛を家業としたが,実能,実定などは和歌にすぐれ勅撰集に入集した歌人であった。第4代公継は承久の乱のとき,後鳥羽上皇を諫止したことで知られ,第7代実孝の女忻子は後二条天皇の皇后となり長楽門院の院号をうけている。
幕末より明治時代に活躍した実則(さねのり)(1839-1919)は,侍従長,内大臣として,長い間,明治天皇の側近に仕え,1884年侯爵を授けられ,1911年公爵に昇った。その男則麿は父功により別家して男爵を授けられた。なお,公爵西園寺公望,男爵住友吉左衛門は実則の実弟である。
執筆者:今江 広道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報