藤井浩祐(読み)フジイ コウユウ

20世紀日本人名事典 「藤井浩祐」の解説

藤井 浩祐
フジイ コウユウ

明治〜昭和期の彫刻家



生年
明治15(1882)年11月29日

没年
昭和33(1958)年7月15日

出生地
東京神田錦町

学歴〔年〕
東京美術学校彫刻科〔明治40年〕卒

経歴
初め不同社で絵を学ぶが、のち彫刻に転ずる。明治40年第1回文展に「狩」が入選。以後、「トロを持つ坑婦」など初期代表作を発表。大正5年日本美術院同人に推されるが、昭和11年帝国美術院会員、翌12年帝国芸術院会員となり、官展に復帰した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤井浩祐」の解説

藤井浩祐 ふじい-こうゆう

1882-1958 明治-昭和時代の彫刻家。
明治15年11月29日生まれ。文展で受賞をかさねた。大正5年日本美術院同人となるが昭和11年退会。同年帝国美術院会員となる。昭和33年7月15日死去。75歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。代表作に「鏡の前」「トロを待つ坑婦」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤井浩祐の言及

【明治・大正時代美術】より

… 再興日本美術院には,平櫛田中,佐藤朝山(1888‐1963),内藤伸(1882‐1967),吉田白嶺(1871‐1942)の4人の木彫家で彫刻部が新設された。荻原守衛の影響と近代彫刻の本質に迫ろうとの試みは,ここに拠った藤井浩祐(こうゆう)(1882‐1958),戸張孤雁,石井鶴三,中原悌二郎,保田竜門(やすだりゆうもん)(1891‐1965)らに現れて高い水準を示し,官展に対抗しうる力を発揮した。これらのなかでは中原悌二郎が《墓守老人》(1918),《若きカフカス人》(1919)のように,荻原守衛を最もよく受けついだ,生命感あふれる作品を生んだ。…

※「藤井浩祐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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